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【イタリア旅行】4日目:ローマ市内観光 コロッセオ

イタリア旅行4日目。
先日、ローマに着いた夕方から少しだけ散策しておりましたが。
本日から本格的に観光を始めます。
初日の今日は、ローマ市内を巡る観光です。

コロッセオまでの移動

ホテルロビーでガイドさんと9時前に待ち合わせて、自動車で移動です。
ホテルからコロッセオまでは、自動車で約10分程度。
直線だと近いのですが、自動車だと一方通行などあるようで、結構遠回りしながら移動しておりました。

このコロッセオ、ローマ滞在中、毎日のようにお目にかかったと思います。
それくらい身近な場所に存在感ある建物があるローマって羨ましいですね。

Colosseo

最初に撮った一枚です。
広角18mm(換算28mm)ですが、納まりきりません。。
もっと離れろよ、とツッコミ入りそうですが(^-^; グループで行動しているのでそういうわけにもいかず・・。

コロッセオについて

一応簡単にご紹介を。
完成したのは紀元80年。工期は10年!短っ!

目的は、当時の正式名称「フラウィウス円形闘技場」と名付けられておりまして。
その名の通り、剣闘士たちが戦う場所として、そしてそれ以外にも様々な見世物を行う場として市民に提供されたものです。

当時のローマ皇帝たちは、絶大な権力を握っておりましたが、王様とは異なり、市民や兵士たちからの支持を得られないと簡単に失脚させられる、とても危うい立場、言い換えると責任ある立場だったのです。

このコロッセオは、そんな市民たちから少しでも支持を得ようとし、そのために無償で与えた娯楽施設だったわけです。

「パンとサーカス」(もしくはパンと見世物)という言葉が当時からあったそうで。
市民に対し、パン(小麦粉)の無料配給を。そして、コロッセオやローマ式風呂に代表される娯楽設備を提供しておりました。
このコロッセオはこのサーカス(見世物)に当たるわけです。

さて、このサーカス(見世物)。
剣闘士たちは文字通り生死をかけて戦うわけで、それを見て市民たちは熱狂するわけです。
そして、多分こう思うのでしょう。
こんな殺し合いをさせられるような人たちがいて、俺たちはまだ幸せなんだろう・・と。

・・いや、どうもそういう人ばかりではなさそうです。
大抵は奴隷として連れてこられた人たち(ヨーロッパ北部やアフリカ大陸でしょうか)だったのでしょうが。
中にはローマ市民権を持っているのに、わざわざ志願して剣闘士になる人も居たそうです。

そう、剣闘士は、今でいう人気スポーツ選手のような地位を築いていたようです。
そして、必ずしも負けたからといって殺されるわけではなかったようです。

そりゃそうですよね。
一度負けて殺されていたら、生き残る人なんてほんの一握りでしょう。人気を得る間もなく死んでいなくなってしまいます。

良い戦いをすれば市民は喜び、それを受けて主催者(例えば皇帝)は負けた剣闘士を救う。
そうしてどんどん有名になった剣闘士は十分なお金を稼ぎ地位を得て、場合によってはローマ市民権を得たり。
引退出来たら後任を育てる立場になったり・・人によっては引退出来る様になっても、剣闘士を続けたり・・などなど。
結構自由なシステムになっていたようです。

入場

さて、話を旅行当時に戻します。

基本的に冬場はオフシーズンなのですが、我々が訪問したこの日は、ガイドさんがちょっと慌てるくらい大勢の人が入り口前に並んでおりました。
DSCF1207

ガイドさんが慌ててしまった理由ですが。
今回我々が購入したチケットは、入場時刻が決まっているものでして、9:30に入場しないといけないものなのだそうです。
しかし、入場する前に念入りなセキュリティチェックを行っておりまして、しかも入口に一人しかチェックする人が居ない・・という状況だったため、長い行列が出来ていたのです。
DSCF1212

ただ、列は2つ、長い列と短い列がありまして。
長い列はこれからチケットを買う人の列。短い列は既にチケットを購入していた人の列。
ということだったので、我々は当然短い方の列に並びまして。そして15分くらいでセキュリティチェックを受ける事ができました。

長い列に並んでいたら、どれくらい並んでいたのか知りませんが・・まあ事前予約はしておくべきでしょうね。

さて、じっと並んでいても無駄です。
外観も見どころはあります。並んでいる間に、ガイドさんがいくつか説明をしてくれました。

昔の入場口

例えばこの写真。
DSCF1210
コロッセオの入り口は50か所くらいあって(下のアーチの部分)、そのアーチにはそれぞれ番号が書いてあります。

色が消えてしまったので分かりづらいですが。
「XLVI」と書いてあります。これはローマ数字で「46」。つまりここは46番入口なのです。
※Lは50。Lの前にX(10)がある(1つ前の数を示す)ので40。Vは5。その後にI(1)がある(次の数を示す)ので6。つまり46です。ローマ数字は数えるのが面倒です。。

当時の人たちは、チケットに書いてある番号を頼りに入っていったそうです。
※当時のチケットがどのようなものだったのかは、残念ながら分かりませんが
5万人は収容出来たらしいです。それだけの人を混雑なく入れるには、こういったシステムが必要だったのでしょう。
そういえば、東京ドームの入場口なんかも、これと似たシステムですね。

修復工事

上で行列の写真を載せましたが。
それを見ても分かる通り、修復工事真っ最中でした・・2015年夏で一度終わったと聞いていたのに。

外壁部分が半分以上崩れ落ちた場所(正確には中世に採石された跡)、これがある意味現在のコロッセオを象徴する場所だったと思うのですが。
そこが修復工事とはいえ見る事が出来なかったのは正直残念でした。
※一応念のため。建設当時は360度一面同じ高さの外壁で覆われてました

過去も修復工事していたようですが、そこで出来た壁がこれなのでしょう。
Colosseo
手前側(白い石でごつごつしたところ)が昔からあったもの、奥側(きれいなレンガで出来たもの)が修復された箇所。
これが本来の姿かどうかは分かりませんが、個人的には違う気がするなぁ。
元は、石で組んだもの(上の写真の手前側)を、化粧石(大理石等)で覆っていたそうですから。
まあ、いいけど。

入場します!

ボディチェックした場所は、コロッセオの外壁部分。
チケット売り場は内側にあります。ここで入場引換券と交換し、いよいよ本格的に中に入っていきます。

DSCF1215

下から階段を使ってのぼっていくことも出来ますが、お年寄りもおりましたため、エレベーターで一気に上まで上がります。
上の写真、奥にあるのがそれ。

いきなり目の前に広がる景色

Colosseo

エレベーターを降りて、少し進んだ先にいきなり広がった景色!
すごいですねー

フロアによって異なる階級

登った場所は多分2層目。
裕福な一般市民がこの層から次の上の層に渡る階段席に陣取っていたと思われます。

下の1層目には、皇帝や元老院、騎士階級(資産家層)が座っていたそうです。

上の3層目。上の写真だと右手側の壁がまだ残っている部分。こちらは一般市民と女性用の席だそうです。

階級別に分かれる、というのは分かりますが。
特筆すべきと思うのは、2000年前の古代、奴隷もいて人権という概念そのものが無かったこの時代。
それなのに、女性がここに来る事が出来た、という点。
これだけでも、古代ローマの懐の深さを知る事が出来ると思います。

そして、この階段席。
現在はほとんど崩れ落ちておりますが、
Colosseo
こちらの写真下部分にある白いところが、かろうじて残っている、当時の階段席なのだそうです。

拡大写真がこれ。
DSCF1226
これが当時は全部にあったと思うと・・すごく贅沢ですね。

闘技場には地下がある!

反対側から見た景色です。
Colosseo

奥の方に平らな部分があり、人が何人かおりますね。
ここが当時の地面だそうです。
ということは・・手前側のデコボコした部分というのは・・はい、地下部分(舞台下)だったのです!

しかもすごい事に、地面下にはエレベーターがいくつもあり(奴隷さんたちが手で滑車を回して持ち上げる方式)、地面から剣闘士や猛獣など登場させる、といった現代の舞台顔負けの演出が出来たそうなのです!

DSC52850
写真は、実際にその舞台装置を再現したところ。
ちょっと分かりづらいかもしれませんが。
地面に四角い穴があり、下からせり上げるエレベーターに乗って登場するわけです。
これが2000年前に実在していたのか・・凄い事です。

ローマン・コンクリート

地面
DSCF1219


DSCF1220
DSCF1222

レンガっぽいものが組み合わさっていますが、これは内部構造がむき出しになったもの。
レンガ同士もコンクリートで固められています。
さらに、外側もコンクリートで覆って装飾していたそうです。

古代ローマ時代に既にコンクリートがある、という事実にも驚きですが。
現在のコンクリートより強度がある!というのがさらに驚きです。

コロッセオに限らず、古代ローマ時代の建物は、たいていコンクリートで出来ています。
だから地震などあっても崩れず2000年近く経った現在まで残っているのですね。

上で崩れた外壁についてもチラっと書きましたが。
崩れた、という表現は実は間違いでして。
自然崩壊ではなく、ルネッサンス期に他の建築資材として古代ローマの建造物が採石場代わりに使わていた。
つまり「人為的に崩された」というのが正解。
ほんと古代ローマの技術は目を見張るものがあります。

余談ですが。
切り落とそうとしても頑丈過ぎて切り落とせなかった柱もあったそうで(笑)。
これについては別の機会にご紹介したいと思います。

その他

全くどうでも良い写真ですが。
DSCF1245
ゴミ箱がコロッセオのかたちをしております(笑)

そうそう。
実際のコロッセオですが、現役のころは天幕があったそうです!
さすがに全面覆われてはいませんが、壁から中央の輪っか状のロープに何本もロープでつなぎ(自転車のホイールみたなかたち)、そのロープに這わせるように天幕を張っていったそうです。
言葉だと難しいですね・・コロッセオ 日よけあたりでググってください。。

コロッセオを後にします

1~2時間くらいは居たかと思いますが・・あっという間でした。
すぐ外に出てしまった感がしまして・・この後フォロ・ロマーノにも行くからしょうがないのですが、もっと時間をかけてみて回りたかったです。

コンスタンティヌスの凱旋門

Arco di Costantino

これはコロッセオのすぐ横にある「コンスタンティヌスの凱旋門」。
その名の通り、コンスタンティヌス帝(当時の西ローマの副帝)が建てたものです。
当時のもう一人の皇帝「マクセンティウス」(西の正帝)に勝利して、それを記念して建てた凱旋門なのだそうです。

ここでいきなり副帝、正帝とか、西とか出てきたので、ご存知じゃない人は????となるでしょうが。

コンスタンティヌスがいた紀元300年は、ローマ帝国そのものの国力低下・・というより蛮族(外敵)が力をつけていたころでして。
広大なローマ帝国のあちらこちらで蛮族と戦う時代になっていたそうです。
ローマ皇帝は軍の最高司令でもあるのですが、一度にあちこち起きている戦争を全部こなすことが出来なくなっていたわけです。
そのため、コンスタンティヌスの何世代か前の皇帝から、ローマを2つ、ないしは4つに分割し、東と西、さらには正帝と副帝、というように担当を分けて分割統治するようになっていたのです。

ただ、当然と言えば当然ですが。
4人いる皇帝みんながみんな仲良く出来たわけではなく。争いもしばしばあったそうです。
皇帝一人にまとまったり、また分裂したり・・と。

それに終止符をうった(というか最後に統一した)のがコンスタンティヌスだったわけです。
その後、コンスタンティヌスは首都をコンスタンティノープル(今のイスタンブール)に移し、しかもキリスト教を国教とする、という事をしでかしてしまったわけですが(これが事実上古代ローマの終わり)。
その後皇帝が代わり、しばらくしてまた東西に分裂するわけですが、その後二度と東西が統一することはありませんでした。。

そんな深い意味のある凱旋門だったりするわけでしが・・
なんですかこのセグウェイ集団は(笑)

次はフォロ・ロマーノに向かいます!

~イタリア旅行記目次~

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