午前中の観光を終え、お昼ご飯を食べた後は、両親は疲れもあってか、ホテルで休む事となりまして。
残った我々夫婦とガイドさんの3名で、もう少し市内を散策することとなりました。
Obelisco della Minerva
日本語でなんて言うんだろう??
ミネルバのオベリスク、かな。
パンテオンに行ったのですが、その前にちょっと珍しい尖塔がありまして。
象さんが下で尖塔を支えております。
ローマの人たちの間では「子豚」と揶揄されておるそうです(笑)。
場所はここ。
この広場から既にチラっとみえるのですが、北に向かっていくとすぐパンテオンがございます。
パンテオン
上のオベリスクがある広場から、パンテオンを横切って最初に撮った一枚。
でかいですね~
続いて正面から撮ったものですが、右側に写っているのオベリスクまで含めると、被写体が大きすぎてうまく収まらない・・。
上の地図を見ても分かりますが、一応場所を載せておきます。
パンテオンについて
簡単にご紹介を。
元は紀元前25年、アグリッパ(初代皇帝アウグストゥスの側近中の側近)が建てた、神々を祀る神殿です。
その後火事で焼失してしまいましたが。
118年から128年に掛けて、ローマ皇帝ハドリアヌスによって再建されたのが現在まで残っております。
ハドリアヌスによって再建されておりますが、上の写真を見て分かります通り、最初に建造した「アグリッパ」に敬意を表した内容が書かれております。
「M. AGRIPPA L. F. COS TERTIUM FECIT」(ルキウスの息子マルクス・アグリッパが、3度目のコンスルの際に建造)
※出典 wikipedia
その後の中世、600年と比較的早い時期にキリスト教教会として使われるようになったため、破壊されることなく当時のかたちを現在まで留めております。
フォロ・ロマーノやコロッセオなど、前にも説明しましたが、採石場として使われた(破壊された)ものが殆どなので、ここまできれいに当時のかたちが保たれているのは非常に珍しく、貴重な建物なのです。
中に入ります
人一杯・・。
ここは現在も教会として使われておりますので、基本的にタダで入れます。
但し、他の教会同様、ミサなど執り行われている場合は、信者以外は入れません。
奥の方に飾られている像や装飾も、キリスト教由来のものです。
残念ながら古代ローマ時代のものはございません。
まあ、古代ローマの神々なんて、キリスト教からすれば異端でしかありませんから、当たり前ですが。
天井
天井はこのようにドームになっておりまして、中央は穴が開いております。
当然雨が降ったら建物内部にも雨は降り注ぎますので、それを逃がす排水口がちゃんとあります。
人が集まっているところが、中心地点で、そこに小さな穴がいくつか空いています。
その前のブロックにも、このように穴が開いております。
出口はここ1か所
と、一通り見たので外に出ます。
建物は素晴らしいのですが、今が教会になっているということを実際に訪れるまで知らず。
てっきり今でも古代ローマ時代の彫刻などがあるのかな、なんて変に期待して行ったものだから、正直ちょっと拍子抜けでした(^-^;
いや、でも建物だけでも十分素晴らしかったです!
トッレ・アルジェンティーナ広場
建物に囲まれた場所に、いきなしこんな遺跡があります。
場所はこちら。
パンテオンから歩いて2~3分くらいの場所です。
さて、ここに来た時点で15時。
ガイドさんとのお約束の時間が過ぎましたので、以後は我々夫婦2名での行動です。
ここには共和政ローマ時代の4つの神殿の遺跡があり、ポンペイウス劇場の一部が遺っております。
で、ここに来た理由ですが。
「ブルータス、お前もか!」のセリフはみなさんご存知かと思いますが。
このセリフを発した場所がここ、ここ「ポンペイウス劇場」だったため、です。
つまり、ユリウス・カエサルが暗殺された場所なのです。
今回の旅の目的の一つに、カエサルの足跡を辿る、というのがありましたので(^-^;
ただ、現地を見ても具体的にどこだったのか?というのは私の目では分かりませんでした。
こういう記事もございます。
カエサルの暗殺地点を「特定」、スペイン考古学チーム
興味のあるかたはご覧になってはいかがでしょうか。
それと、「ブルータス、お前もか!」というセリフですが。
有名になったのは、劇作家ウィリアム・シェイクスピア作『ジュリアス・シーザー』のおかげでしょうが、だからと言ってこのセリフが後世になって創作された、というものでも無いそうです。
まあ、本当のところは分かりませんが、なんにせよこういった有名な場所に来れたと考えると感慨深いです。
長いので続きます
この日は色々訪れましたが、まだ続きます。
長いので分けて書いていきますね。