【イタリア旅行】2日目:ヴェネツィア観光地巡り まずはドゥカーレ宮殿
前回は移動で終わってしまいましたが。。
という事でここから本格的に観光地巡りとなります。
ヴェネツィアは1日しか滞在しないので、駆け足でざっと有名どこを攻めてみます。
まずは島内を徒歩で移動
リアルト橋について、そこからまずは歩いてサン・マルコ広場に向かいます。
なお、リアルト橋はとっても有名な橋なのですが、我々が行った時は修復工事をしていたため、このようにとっても残念な姿になっておりました。
リアルト橋からサン・マルコ広場への移動は、実はそれほど難しくありません。
ヴェネツィアの街は確かにとっても入り組んでいて簡単に迷う事が出来るのですが(笑)。
リアルト橋~サン・マルコ広場間は比較的広い道が続いており、標識も出ております。
かなりわかりづらい写真ですみませんが、こんなかんじ。
道路自体はこんなかんじです。
リアルト橋周辺は島内でも一番にぎわっているところ(繁華街)という事でして、この写真では少し外れに行ってしまいましたが、露店なども出て大いににぎわっておりました。
サン・マルコ広場
リアルト橋から歩いて15分くらいでしょうか。
途中運河を渡る為、いくつもの小さな橋を上り下りして、看板を頼りに左右に歩いていきます。
ルートはだいたいこんな感じ。
途中までは数十メートル先は見えない状態ですが、突然、ふとこのように開けた景色が見えてきます。
目の前に現れたのは、「サン・マルコ大聖堂」、奥には「ドゥカーレ宮殿」、そして右手前側には「サン・マルコ広場」が広がっております。
この位置から広場側を撮るのを忘れてしまいましたが。
別の位置(広場の反対側)からサン・マルコ大聖堂を撮ったのがこれ。
我々は、ちょうど左奥から出てきたわけです。
まわりには、先に挙げたサン・マルコ大聖堂、そしてドゥカーレ宮殿(Palazzo Ducale:昔の元首が居た場所)が正面右手奥に、そしてその前にある高い建造物が鐘楼、左手奥には時計台があります。
ここで記念写真を撮って、入場者数も多いとのことで、すぐにドゥカーレ宮殿に入ります。
ドゥカーレ宮殿
昔ヴェネツィアが独立国家だったとき、国家元首を選挙(とっても複雑な手順)で決めておりました。
そこで決まった元首(ドージェ)が居を構えていたのがここ。
ちなみに「ドゥカーレ」は「総督」を意味する単語らしいです。
先に居を構えていた、と書きましたが、それだけではなく議会の場、裁判の場、そして外国からの貴賓を迎える場所としても使われておりました。牢獄もついております。
まあ、要は政治の中枢だったわけです。
土地のないヴェネツィアでは、この建物で政治に関わる事を全部担っていたわけですね。
ヴェネツィアの顔でもあるわけなので、内装などとっても豪華だったりします。
商人たちで構成されている国家であったヴェネツィアですから、お金もふんだんに使い・・中はものすごい事になっています。
入場等
入場料が必要です(当たり前ですが)・・ただ、いくらかは忘れました。
簡単な持ち物チェックがあり、リュックサックや大きな荷物は預けないと中に入れませんのでご注意を。
また、ここに来たのは11時頃ですが、入場者が結構増えていたようで、入場制限がかかる直前だったようです。
さて、ここでガイドさん交代。
今回ここまで案内して頂いたガイドさんのお知り合いでしょうか?
ドゥカーレ宮殿前で別の日本人の方がおりまして、その方が中の説明をしてくれました。
ここからは順に写真でご紹介したいと思います。
密告の口
入口横に、こんなものがありました。
後でも説明しますが、いわゆる投書箱みたいなもので、誰か悪い事をしているとか、文字通り密告するためのポストなのだそうです。
入口
入口階段
先ほど登った入口階段を見下ろしてみます。もう天井がヤバイ事になっています。
床の模様も特徴的ですね。立体感が出る様な模様もここの特徴の一つらしいです。
階段をさらに登ると
もうヤバイ天井画がチラリとみえてきました・・先にみえるのは控室だそうです。
ここで謁見をする人が待つようです。
さらに控室
天井画のみならず、壁画もすごいことになっています。
さらに重要な部屋へ入るための正式な控室・・らしいです。
写真撮りまくっていて、説明もうる覚え・・。
元老院の間
上院ホールへ続く扉
上院ホール
左手奥から入ってきました。
床は大理石。でもその下は木造らしく(本島が人工島ですからね。何でもかんでも重くは出来なかったそうです)、その上に厚さ1cmほどの大理石を敷き詰めているそうです。
なので歩いていると、床が少したわんでフワフワします。
十人委員会の間
簡単に言えば裁判所・・どちらかというと諜報機関?
そんな場所なのに、こんな内装・・すごいですねー。
あ、ちなみにですが、上の天井画。
一部(確か丸い絵)はナポレオンに占領されたあとに切りとられて、フランスに持ち帰られたそうです(ルーブル美術館にあるそうです)。
上にあるのはフェイクなんだそうです。。
羅針盤の間にあった密告の口
入口にもありました投書箱。但し誰が出したか実名記載が必要とのこと。
前の部屋「十人委員会の間」につながっています。諜報機関だから、密告された内容をここで10人がかりでチェックするのでしょうね。
まあ、こういった仕組みがあるからこそ、1000年もの間、独裁を許さず共和制としてやってこれたのでしょうね。
武器庫
当時の武器が陳列されています。
このあと、タペストリーとか展示されている部屋とか見ますが、そこは軽くスルーしてしばらく歩きますと・・
大評議会の間
これ見たかったやつです!
ヴェネツィア貴族の議会の場。1000人以上入ることのできる、柱のないとっても広い空間!すごい建築技術です!
天井すぐ下には歴代ドージェ(元首)120人の肖像画がズラっと並んでいますが。
一番左奥、この写真だとぱっと見わかりませんが、黒く塗りつぶされたのがありまして。
国家を独占(国家転覆)しようとしてそれに失敗、歴史からも永久追放する、という意味で肖像画も名前も消されたしまった人だそうです。
歴史に名を残すことを重要視していた古代ローマからの考えなのでしょうかね。
とっても重い刑らしいです。
ちなみに入口はこの写真手前左側(冒頭の写真の右側下)。
この部屋の出口を背にして撮っております。
何が面白いかって?
足が左右逆なのですよね。わかります?
何でも、この時代は絵画も分業制になっていたそうで、師匠が弟子にラフを描いて、弟子に細部を描かせる、という事をしていたそうなのですが。
弟子への指示が適当すぎたか、弟子が適当だったのか、足をよく考えもせず左右逆に描いてしまったそうです。
これを描いた弟子がその後どうなったのかは・・知りません(笑)。
この絵画は、冒頭の写真の左下(つまり出口側)にあります。
ため息橋
大評議会の間を抜けてもうしばらく歩くと、牢獄への入り口である、このため息橋に行きつきます。
見ての通り、とっても狭いです。
ため息橋から見える外
通路左手側にちっちゃな窓(鉄格子で覆われた窓)があったので、そこから急ぎ撮った一枚。
ピントずれまくりですが・・雰囲気は伝わるかと。
名前の由来は容易に推測が付くかと思いますので書きませんが。
ただ、この名前自体は19世紀に入ってから誰かが書き物の中でつけたそうで、それでこの名前が一般的に広まったそうです。
本来の名前ではないそうです。
牢獄
で、橋を渡って隣の建物に入って見えたのがこんなかんじ。
牢獄といっても、ここに収監されるのは身分の高い人たちや国外の人たちなどだそうで、待遇は結構良かったそうです。
期間も普通であればせいぜい2~3週間ほど。すぐに釈放されたそうです(一部例外もあったそうですが)。
今は壁は石がむき出しになっていますが、当時は壁も床も木の壁で覆われていて、かなり快適だったそうです。
ただ、唯一光だけが射さないのが難点だった、そうな。
なお、重罪を犯した人は、こことは別、本島外にあった本格的な監獄に連れて行かされたそうです。
巨人の階段
お終い
続きます
とまあ、ドゥカーレ宮殿だけでかなり満足してしまいましたが。
ヴェネツィア観光はまだ続きます。
まだお昼前です。
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