昼食を終えたのが15時近く。
サン・マルコ大聖堂を見に、またサン・マルコ広場まで歩いて行きます。
いったい何往復してるんだろ・・(^-^;
サン・マルコ大聖堂
教会ではミサが行われていますので、ミサ中は当然ですが観光は出来ません。
ミサのない時間帯に行くしかありません。
この日も午後過ぎまでミサが執り行われていたそうなので、サン・マルコ大聖堂の見学もこんな時間帯となりました。
サン・マルコ大聖堂の由来について簡単にご紹介
サン・マルコ大聖堂(寺院)の名前の由来ですが。
キリストの十二使徒のひとり、聖マルコから来ています(というかそのまんま)。
西暦800年頃までさかのぼりますが。
元々エジプトはアレクサンドリアに、聖マルコの聖遺物(遺骸)があったそうです。
しかしイスラム教勢力が盛んであったこの時期、エジプトにもイスラム化の波が迫ってきておりました。
キリスト教教会はイスラム勢にとっては敵のシンボル。
そのため、当時そこにいたヴェネツィア商人2人が聖マルコの聖遺物(遺骸)をお救いした、ということでここヴェネツィアまで持ち帰ってきたそうです。
それを祭るための聖堂がここ、サン・マルコ大聖堂なのです。
お写真
お写真ですが。
大聖堂内での写真撮影は禁止されておりますので、内部をお写真でご紹介する事は残念ながら出来ません。
まあ、日本でも神社の本殿内を撮るとか普通しませんから、それと同じ感覚です。
こんなかんじでお写真は外観に留めておきます。
ヴェネツィア散策~そして帰ります
サン・マルコ大聖堂を出たら、時刻はもう16時近く。
ガイドさんとお別れの時刻が近づいてまりました。
アカデミア橋
最後、眺めがよいから、という事でアカデミア橋まで行ってお写真を撮りました。
ちなみに「アカデミア橋」の由来は、近くに美術学校(アカデミア)があったから。
今は美術館になっているそうです。
アカデミア橋を近くで撮った一枚。
後から鉄なので補強されたようですが、基本は木造ですね。
橋の上から海に向かって撮った一枚。奥に「サンタ・マリア・デッラ・サルーテ聖堂」が見えます。
その後リアルト橋まで水上バスで移動。
これは水上バスに乗って、上のアカデミア橋を撮ったもの。
リアルト橋で、私とヨメさんの二人だけ降りました。
ガイドさんには、両親をローマ広場まで送ってもらうようお願いし、そこでお別れとなりました。
歩きながら撮ったお写真
我々はお土産物色も兼ね、その辺をぶらついてみる事にしました。
と言っても、道に迷うのはイヤなので、リアルト橋からメインストリートを通り、またサン・マルコ大聖堂まで歩く・・というもの(同じ道ばっかり歩くからさすがに覚えました)。
そして海の方を歩いてカナル・グランデ近くまで行く、というかんじです。
寒くなったので帰ります
この時点で18時。日の入りは17時半なので、あたりはもう真っ暗。
さすがに寒くなってきたので水上バスに乗って帰ることにしました。
しかし、なぜかカナル・グランデ近辺の水上バス乗り場はもう2番線(快速)が終わっており。
しょうがないので1番線(各停)でローマ広場まで行くことになりました。
時間にしてだいたい40分くらいでしょうか。
ヨメさんは寒いと言って中に入っておりましたが、私ひとり船の前に行ってお写真撮りながらおりましたので、最後は本当に冷えました。。
さよならヴェネツィア
ローマ広場から路線バスに乗り換え、ホテルまで直行します。
さようなら・・・そして次の日に備えホテルで準備。
・・のはずでしたが、ここでちょっとしたアクシデント。
路線バスですが。
降りる場所が分からず(周りは真っ暗だし、窓もなぜか網がかかっていてよく見えないし)、だいたいこの辺だろう、とピンポン押して降りたら全然知らない場所Σ(゚Д゚)
が、ここで役に立ったのはGoogle先生。
スマホの「Googleマップ」を使って、無事ホテルまで歩いて帰ることが出来ました(^-^;
30分くらい歩きましたけどね。
ヨメは一生言い続けてやるー、と毒づいておりましたが(苦笑)、いい運動になったという事でヨシとしましょう。
結局ホテルに着いたのは20時近く。
夕食もホテルで頂き、そのままお風呂に入ってこの日はお終い。
最後で色々ありましたが、充実した一日でした。