ちょっと古い話題ですが、昔NHKの大河ドラマ「天璋院篤姫」で有名になりました篤姫様。
こちらのお墓参りに行ってきました。
普段は非公開で、しかも今は徳川宗家の個人的なお墓、という事で普通は入れませんが、
2012年4月から東日本大震災の復興支援金集めということで、徳川将軍御霊廟への特別参拝を始めたそうです。
行程は大体1時間半ほど。
最初に根本中堂に集合し受付。40人くらいおりましたでしょうか。
般若心境をみんなで唱え、住職さんから寛永寺の歴史について説明を受けます(30分ほど)。
その後、最後の将軍徳川慶喜殿が水戸退去の前に2か月ほど蟄居していた部屋「葵の間」(実際は移築したもの)を見学。
こちらは、白い壁や天井に緑色で葵の葉の紋様が描かれておりまして、非常にしゃれたものとなっておりました。
最後に、徳川将軍御霊廟ということで、
五代将軍綱吉殿
八代将軍吉宗殿
十三代将軍家定殿と、御正室であります天璋院(篤姫)殿
を順に見て廻りました。
残念ながらこの中は写真撮影禁止、という事で中の様子をお見せすることはできませんでした。
肝心のお墓ですが。
今は個人のお墓ですが、とにかくでっかい!
まわりは全部石垣に囲まれていて(勝海舟さん?が盗掘対策で明治になって囲ってくれたそうです)、
その中の広さは・・わかりませんが(^^; 一つのお墓で高さ3m、幅4mくらいはありそうです。
なお、元々この敷地は五代将軍綱吉殿のお墓専用だったそうで、五代将軍のお墓は門もありお堂もあり立派なものでした。
八代将軍は、綱吉殿を慕ってここに墓を作ったそうですが、ご存じのとおり質素倹約ということで、石造りの墓と周りを囲った石の柱だけになったそうです。それ以後の将軍はみんなこれに倣い質素になったとの事です。
十三代のお墓の横には天璋院殿のお墓が並んでおりますが、これは明治になって天璋院殿が亡くなったため出来たこと。
江戸時代ではいくら天璋院殿が立派な事と成し遂げたとしてもそれは叶わぬことなので、ある意味ラッキーな事でしょうか。
ちなみに、このお墓の周りには、柿の木とビワの木が植えられております。
家定殿は柿が、天璋院殿はビワが好きだったから、ということで植えているそうですが、シャレてますよね。
その他、この御霊廟には、他に十六代(ご夫婦)と十七代のお墓もございます。
お墓参りが終わったところで、外に出て解散です。
今回は特に説明はありませんでしたが、御霊廟に入るための門がございましたので撮っておきました(こちらはお墓の外なので撮影はご自由に、ということでした)。
申込などは寛永寺ウェブサイトで確認できます。
そういえば、私が行ったのは10月でしたが、蚊が多かったので虫よけスプレー持参をオススメします(^_^