アッピア街道の入り口、第1マイルストーンからさらに先に進んでいきます。
チェチーラ・メテッラの墓
アッピア・アンティカ通り(Via Appia Antica)を自動車で通っていきます。
こんなかんじですね。
途中、カタコンベ・ディ・サン・カッリスト(地下墓所)という場所を通り過ぎていきまして、まずたどり着いたのが「チェチーラ・メテッラの墓」という場所。
第3マイル付近に位置します。
デカイです。。
三頭政治(カエサル、ポンペイウス、クラッスス)で有名なクラッススの息子、マルクス・リキニウス・クラッススの妻であったチェチーラ・メテッラを祀るものだそうです。
クラッススは知っておりましたが、その息子の嫁さんまではさすがに知らない。。
でも、クラッススは物凄いお金持ちでしたから(カエサルの資金源=パトロンとも言われていました)、息子の嫁さんのお墓としてもくれくらいはポンと出せたのでしょうかね。。
そういえば、アッピア街道に限らず、ローマ街道沿いには、大小関係なく、お墓がいっぱいあったそうです。
なぜかは分かりませんが、死後も後世の人から忘れられずにいたい、という思いでもあったのでしょうかね。
近所の人でしょうね。犬を連れて散歩しておりました。
街道沿いには家はあまりありませんでしたが、ちょっと奥に入ると民家がいっぱいあります。
こういう歴史ある、風光明媚な場所に暮らせている人たちは、私からするととっても羨ましいです。
アッピア街道を歩く
もうしばらく自動車を走らせた後、とある場所に降りた我々。
地図上では直線ですが、実際は迂回した道を通っております。
自動車では通行できない道なのだと思います。
降り立った場所。
交差する道路沿いには自動車がたくさん止まっておりました。
歩いている人も大勢おりましたが、自動車で来ている人たちからはここが起点にしやすいのでしょうかね。
路上駐車してよい場所とか?分かりませんが。
ここからしばらく通りを歩いていきます。
以下は途中で撮っていった写真。
道路の中ほどに横に走っている線(石畳の異なる箇所)がありますが。
ここが、古代ローマ時代の敷石そのままが残されている場所です。
元来のローマ街道は、大きな幅広の石が敷き詰められておりました。
小さな敷石は、近代になって敷き詰められたものです。
今でも普通に使われている生活道路なので、さすがに古代ローマ時代と同じには出来なかったのでしょうね。
そこだけは少しだけ残念ですが、しょうがない。
そんなことよりもむしろ、二千年前の道路が今でも同じ場所で使われている、というところがローマの重みを感じさせてくれる、凄い点だと思います。
もう1つ、古代ローマをフォローしますと。
この石畳、デコボコで歩きにくそうですが、これはメンテナンスが行われていないため。
古代ローマ時代では定期的なメンテナンスが行われていたそうで、今みるより平らに保たれていたそうです。
しかし、こんなに広大な領土を網の目のように敷設されている道路のメンテって、いったいどれだけお金がかかることやら・・。
古代ローマの強さを垣間見ることが出来たと思います。
このあたりは木々も見事です。
特に松の木の剪定は特徴的ですよね。
道行く人は結構多く、またジョギングをしている人も結構おりました。
地元の人なのか、それとも観光客なのか。。
新しく作り直された道路もありますが、古代ローマ時代と同じくイタリア半島を縦断しておりますので、歩いていこうと思えばどんどん歩いて行けるのですよね。なので、本当に時間をかけて歩いていく観光客もいるそうです。
一旦ローマ市内に戻ります
この時点で約11時半すぎ。
一旦ローマ市内に戻り、昼食です。